[AIDA]ボード・インタビュー第8回 佐藤優さん(作家・元外交官)
時流に逆らって「あいだ」を考える意義
Hyper-Editing Platform[AIDA]は、松岡正剛座長と多士済々の異才たちとともに思索を深め、来たるべき編集的世界像を構想していく場だ。
今回は、松岡座長とも長年の親交があり、Season2からボードメンバーを務める佐藤優さん(作家・元外務省主任分析官)にインタビュー。新自由主義の綻びが至るところに見えるいま、「あいだ」を考える意義を尋ねた。
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。本省国際情報局分析第一課主任分析官として、対露外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害罪容疑で東京地検特捜部に逮捕され、512日間勾留される。2009年最高裁で上告棄却、有罪が確定し外務省を失職(2013年、執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った)。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、文筆家として精力的に執筆を続けている。松岡正剛座長との共著に『読む力―現代の羅針盤となる150冊』(中央公論新社)。
▲講義中、佐藤さんは手書きで膨大なメモをとり続けている
「松岡正剛という方法」
――佐藤さんは、2021年(Season2)からボードメンバーに加わり、この3年間[AIDA]に関わり続けてくださっています。[AIDA]をどのようにご覧になっていますか。
佐藤:これだけクオリティが高いセミナーはほかにはありません。学知を身につける講座はあるし、ビジネスパーソンのリーダーシップを育てるセミナーもあります。けれど、その両方が合わさっているのは、[AIDA]だけです。しかも[AIDA]で扱うのは、仕事に直接役に立つことではありません。これも重要なポイントです。すぐに役に立つことはすぐ陳腐化する、という松岡座長のお考えがあるからでしょう。
――佐藤さんは、松岡座長と長年の親交があり『読む力』(中公新書ラクレ)などの共著も出されていますよね。松岡座長はどんな存在でしょう。
佐藤:お世辞抜きで、一世紀に一人現れるかどうかの天才です。ものすごいカリスマ性と求心力をおもちです。しかし面白いのは、メインストリームに行ける人なのに、つねにマージナルな場にいるということです。
松岡座長や編集工学研究所は、企業とのあいだ、政府とのあいだ、大学とのあいだを保っています。特定のパートナー企業をつくらず、政権とも適正な距離感を保つ。編工研はスタッフのレベルも極めて高く、大学で教員になることもできるでしょう。けれども、そうはしない。それぞれの領域と距離感をたもつからこそ、ここには自由があるのです。
――松岡座長は「編集的自由」をとても重視しています。たしかに、強いしがらみがないからこそ、できることは多いと感じます。
佐藤:たとえば、もし特定の銀行と関係が強くなれば、金融主義批判ができなくなるわけですから。制度的なアカデミーはいま硬直して、よいものがなかなか生まれません。けれども、編工研や[AIDA]は違う。それが魅力です。
▲2011年、[AIDA]の前身であるハイパーコーポレートユニバーシティ第7期。「日本と日本のAIDA」。佐藤さんはゲストとして登場。
「あいだ」を問うことは「人間」を考えること
――「あいだ」というテーマについては、どう考えておられますか。
佐藤:「あいだ」を考えるということは、人間を真面目に考えることです。人間という言葉は「ひと」だけでなく、そこに「あいだ」という文字が加わっています。人と人のあいだに、人間の核としての倫理が生まれる。差異も生まれる。あらゆる物事は「あいだ」から出てくるのです。
――でも、いま社会は「あいだ」を失う方向へ進んでいるような気がします。
佐藤:そうですね、新自由主義の世界はアトム的人間観*です。一人ひとりの個人が寄せ集まって団子状になっていて「あいだ」がない。だからこそ、いまは「あいだ」を考えることは、反時代的かもしれません。
(*アトム【atom】:ギリシア語で、分割されないものの意。)
――とすると、[AIDA]は時流に逆らっているんでしょうか。
佐藤:はい。でも、それがいまはとても大事です。このままイカダに乗って流されていると、みんなが滝壺に落ちるかもしれない。そういう時代には、流れを逆行したり、岸に上がったりする必要があります。2メートルの滝壺なら落ちても生きられますが、50メートルだと厳しいですから。
▲Season4 第3講の合宿、ゲストの落合陽一さんに切り込む。
勝ち組が腐っていく日本に危機感
――見えない滝壺に向かうような危うい状況、いつから日本はこうなったのでしょう。
佐藤:1990年後半からでしょう。ベルリンの壁とソ連の崩壊が大きい要因ですね。それまでは、社会主義体制があり、その大きな物語に対しての小さな差異があり、時代を先に進める力がありました。けれども、ソ連崩壊後は、広告代理店を中心に小さな差異をカネに変えてしまった。そのあたりからズレてきたのでしょう。みなさんは、『東京女子図鑑』や『東京男子図鑑』というドラマを見たことありますか。
――いや……。
佐藤:[AIDA]に来ているみなさんは出会うことのない作品です。これらは「東京カレンダー」という雑誌に連載されていた小説で、ドラマ化もされました。いわゆる高偏差値の「勝ち組」たちの20年を描いたドラマです。私なんかは、じつにつまらないと感じますが、30代のとある大企業のプロデューサーなどは共感をもって見ているようですよ。新自由主義の権化のような人たちばかり登場します。たとえば、パパ活している恋人を……(2話分のあらすじが語られる)
――なるほど……。たしかにエリート層たちが年収や容姿などでマウントを取り合うばかりというのはひどい話ですが、やけにリアリティがあります。佐藤さんがドラマのセリフを完全に暗記しておられることにも驚きましたが。
佐藤:受験を勝ち抜いてきて、一流大学で知的な興味を語り合うような人たちが、就職をして一生懸命働いた結果、30〜40代でなぜかこういうバカらしい世界を生きることになる。どう考えてもおかしい。私は、このドラマを大学のゼミで教材として使っているんです。学生に見せると、こんなふうにはなりたくないと口を揃えます。じゃあどうやったら『東京女子図鑑』『東京男子図鑑』ではない世界がつくれるのか、考えているわけです。そのための一つの手として、編集工学研究所には大学で授業を持ってもらいたい。これはまた別途、相談します(笑)。
ロシアやドイツでは「魚は頭から腐る」と表現します。社会は指導者層から腐敗していくのです。けれど、この[AIDA]が例外です。ここに集まっているのは、まっとうなエリート層のみなさん。日本がどうなっているのか、[AIDA]という場から見ると希望がありますが、ほかの場から見るとぜんぜん違ってきます。
――いまの30代、40代の多くは『東京女子図鑑』的世界を生きてるかもしれません。[AIDA]の場にある価値感とは大きな乖離がありますが。
佐藤:そこは心配ありません。ラテン語を話す人たちは、たしかに少ない。けれど、中世から現代にいたるまで、絶滅したことはありません。[AIDA]に来ている人は限れていますが、この「知」が途切れることは、ないはずです。
――「少数なれど熟したり」を続けたらよいのですね。この[AIDA]の知に触れられるのは、年間40名程度の限られた座衆です。座衆たちに望むことは?
佐藤:[AIDA]で学んだことを、若い人たちに伝えてください。それがみなさん自身の学びにもなりますし、松岡座長の世界観や編集工学を継承することは社会のためにも国家のためにもなるでしょう。
企画:吉村堅樹
執筆:梅澤奈央
編集:仁禮洋子