Season 1 第5講
「持たざる国」日本の行方
2021.2.13
「生命と文明のあいだ」を考える[AIDA]シーズン1。第5講のゲストは政治思想史研究者の片山杜秀氏。日本社会は、なぜ現在のような状態になっているのか。近代日本の来し方を紐解き、行く末に思いを馳せる。
国家主義や戦争が
今までとはちがった衣装をまとい直さねばならなくなったと
教えてくれたのが大戦だったのだ。
―片山杜秀 『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』私たちは何かを“喪失”してしか、
本来の日本の「面影」というものを
見いだしえないところにいるように思います。
―松岡正剛 『連塾 方法日本Ⅲ フラジャイルな闘い――日本の行方』
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20世紀に入り、文明が作り上げた機械が大量の生命を奪った。生命と文明のねじれが噴出した第一次世界大戦の裏で、日本は何を思っていたのか。どんな国家として立ち、どう世界の列強に伍していこうとしたのか。
「海のかなたで、大戦争があるといふが……」、第一次世界大戦下の作家・小川未明の懊悩を入口に、昭和の日本が抱えた問題群を紐解いていく『未完のファシズム』。その著者である片山杜秀氏を迎えた第5講は、近代日本の戦争観・死生観・国家観に正面から相対する一日になった。
「持たざる国」を「持てる国」にするために、また「持たざる国」が「持てる国」に勝つために、日本は何を選択し、どんな物語を描こうとしたのか。その日本は、今もどのように我々の足元で生き続けているのか。近代日本の「生命と文明のAIDA」を抉り出す。
プログラム
13:00〜 オープニング
13:50〜 片山杜秀 ソロ講義「持たざる水戸の皇国史観」
15:25〜 編集工学レクチャー
16:30〜 片山杜秀 × 松岡正剛 対談セッション「革命的な保守思想としての水戸学、あるいは三島由紀夫の切腹」(note掲載)
17:55〜 AIDAセッション(全員参加)「武士がいなくなる武士の革命と天皇の生前退位」
当日はボードメンバーの大澤真幸氏(社会学者)も参加。音楽評論家でもある片山氏は、時折音楽を交えつつ、開国前〜戦後までの日本の辿った道筋を語った。
▼対談セッションのレポート記事はこちら
片山杜秀 × 松岡正剛 対談セッション「革命的な保守思想としての水戸学、あるいは三島由紀夫の切腹」(note掲載)
講義の本棚「日本のナショナリズムを辿る7冊」
ライブセッションで交わされた議論から、より思索を深めるための参考書籍を、運営チームがピックアップ。
今回は、近代日本のルーツを探る7冊を紹介。
『未完のファシズム』片山杜秀(新潮選書)/『尊皇攘夷』片山杜秀(新潮選書)/『鬼子の歌』片山杜秀(講談社)
『相楽総三とその同士』長谷川伸(講談社学術文庫)/『日本の失敗』松本健一(岩波現代文庫)
『敗北を抱きしめて(上・下)』ジョン・ダワー(岩波書店)/『黄禍論とは何か』ハインツ・ゴルヴィツァー(草思社)
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第二次世界大戦の敗戦後、日本の民衆は一転してアメリカの改革に希望を託して高度成長期へと向かったが、それにもかかわらず万世一系神話は続き、令和の日本にも天皇がいる。それはなぜか。片山杜秀氏は日本ナショナリズムのルーツをさかのぼり、水戸学に源流を見つけた。水戸学こそ万世一系の天皇という考えを生み出し、尊皇攘夷思想、ひいては明治の天皇制の母体となったからだ。
その後、日本は「動機があっても目的がない」戦争を起こすが、戦時日本のファシズムは「未完のファシズム」だった、というのが片山氏の見方だ。東条英機は独裁者になろうとしたが、なれなかった。なぜなら、日本の正統な政治のあり方は、上に立つ者がおのれを鏡として、下の者たちのありのままを映し出す「しらす」だからだ。しらす政治のトップは強権的リーダーシップをとらずに鏡に徹するため、ファシズムとなりえないのだ。
ところで、その途中の20世紀初頭、欧米は日本に脅威を感じ「黄禍論」で日本を叩いた。この文明戦争もいまだに尾を引きずっている。